頑張った人が報われる社会を実現するにはどうすればいいか?

今日、まだちょっと早いお花見に行ってまして、久々に会った友達に最近の政治活動の話をしました。「民進党はそんなに悪くないよ。誤解が多い」といったら「まあ村上がそこに入るくらいならそうだろう」的なことも言ってもらいました。お世辞ではなく、ありがたい言葉として受け取っています。

それはさておき、話しの中で「頑張った人が報われる社会であるべき」との意見をもらい「おっしゃる通り!」と返したのですが、お花見の席なのであまり深い話はできませんでした。今の社会「頑張った人が報われるようになってない」ということなのでしょうか?「頑張りと報われ方」これについては、よく聞く意見ですので私なりの考えをまとめました。「頑張った人が報われる社会というのは、前提と仕掛けが必要」ということで、ポイントとして三つ挙げます。

頑張りと結果(報われ方)が比例しないケースも多いので修正が必要

第一に、頑張ったという評価はなかなか難しく、頑張りと結果が比例しないケースがあります。つまり、頑張りというインプットと、結果としてもたらされる便益であるアウトプットがうまく比例せず、大きな結果格差が生まれていることが多々あるということです。

例えば、町工場で一所懸命に額に汗して働き、素晴らしい工業部品を作っている職人さんがいたとして、その人の働きは金融業界でトレーディングをして稼いでいる人の収入ほどにはならないのが現実です。これは極端な例ですが、イチロー選手はもちろん頑張っていますが、彼の数十億という年収と普通に頑張って働いておられる一般の人の年収が何百倍も違っていて、イチロー選手の何百分の一しか頑張っていないのか?というとそんなことはないでしょう。

運もあると思います。イチロー選手は、当初は指導者に恵まれず試合に出してもらえなかったわけで、そのままだと結果は出ません。どんな指導者に出会うか?は重要です。人との出会いだけでなく、仕事との出会いなども運が左右するところは大きくあります。以前のブログにも書かせてもらいましたが、ある数千億の資産を築いたアメリカの富豪が「俺は努力した!」と言っているのを聞いて「そりゃ努力したんだろうが、数百万円の資産を築いた人の10万倍とはいえないだろう~」と思ったものです。

http://nori-murakami.jp/blog/?p=201

つまり、所得に関してはある程度の修正が必要ということです。稼いだ人から税金をある程度多くいただいて再配分することの必要性はここにあるのだと思います。もちろん、多くの国では所得税はあるわけですが、今それがちょっと偏って再配分機能が弱っているということが問題になっていると思います。格差の拡大はその結果なんでしょう。

「頑張りと報われ方」に関して、生活保護の不正受給のことを言われる方がいます。仕事ができるのに頑張りもせずにお金だけもらっている、と。ただ、この不正受給は0.4~0.5%程度という話です。もちろん、不正受給は犯罪ですしなくしていかなければならないですが、頑張った人が報われる、という命題に対しては大きなポイントにはならないとは思います。

頑張るステージにさえ立てない程の格差が起こらないように機会の均等化が必要

次に、これは大きな問題なのですが、頑張れる環境に入れることさえできない場合があるということです。頑張るための機会が均等に与えられていない現実があるということです。頑張るためには、教育を受ける機会が必要です。昔のように世襲が幅を利かせていると、親の仕事を継ぐのは当たり前、みたいなのでは身分制度にもなってしまってました。今は昔のような身分制度はありませんが、親の貧困が子供に連鎖して、こどもが勉強できない環境があるということがあると、これは是正しなければならないということです。

機会が均等でない状況では、私のブログに何度も書かせてもらってますが「6人に1人の子供が貧困に苦しんでいる」ような状況では、頑張るステージにさえ行きにくい子供たちがたくさんいるということです。この是正が必要なのは当然と考えます。

http://nori-murakami.jp/blog/?p=99

敗者復活のためには人への投資が必要

そして第三点、敗者復活の仕組みの必要性です。これは今日の花見での会話でも出てきたのですが、重要なことだと思います。ビジネスや政治環境が激変している中、将来を見渡すことが非常に難しい状況になっています。よくいわれることですが、リスクというのは確率的に予測できること、不確実性は何が起こるか分からないということ。現代社会は、良くも悪くもこの後者の不確実性が増しているわけです。

凄まじい技術革新はいい意味での不確実性でしょう。政情の不安定は悪い意味でのものです。世界の亀山といわれたあのシャープがホンハイに買収されてしまったことを考えれば、その変化の速さが思い知らされます。今まで自分が培ってきた技術、強みが一夜にしてなくなるはオーバーにしても、短期間で色あせてしあうこともあるわけです。この大変化の時代においては、負けることも多々あるが、敗者復活の仕組みがあることは社会の安定には重要になります。

負けてももう一度挑戦できる社会です。これは手前味噌ですが、民進党が訴える「人への投資」そのものです。大人になっても、改めて勉強して違うスキルを身に付けて再起を期しやすくする社会を目指すことは不可欠かと思います。

頑張った人ものが報われるには前提と仕掛けが必要

三つの点で考えましたが、これらをどの程度やっていくのか?私の考えでは、今の社会は頑張りが結果とあまり比例しないため、一部の富裕層に富が偏り過ぎていると思っています。大きく稼いだ人達から税金による再配分機能を充実させるとか、機会均等のために子供たちの学習機会をしっかりと保証していくとか、大人でも敗者復活のための人への投資を充実させていく、これらをしっかりと確立していくことが頑張った人が報われる社会になるための前提であり仕掛けであると考えます。

村上のりあつ【衆議院】大阪府第1区総支部長
大阪生まれ、大阪育ち。 同志社大学卒業後は主に東京で仕事をし、アメリカのイェール大学では経営学を学びました。 コンサルティング会社、グローバル企業であるロイター通信やフォード自動車等では人事の責任者として経験を積み、長年ビジネススクールの講師も務めております。 グローバルと日本の両方の経験を、是非とも大阪の皆さんとともに国政に活かしたい、その思いでいっぱいです。

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