懐かしい曲のかかるディスコで遊ぶのは、昔を懐かしんでいるだけではない!

今日は週末なので、ミラーボール絡みのお話を!

もう14年以上前になりますが、青山でディスコが復活していました。1980年前後に六本木にあったディスコが、当時の青山に復活したのです。学生時代は東京にはいなかった私ですが、有名なところなので東京に遊びに来た際には行ったことのある場所でした。私くらいの年齢より少し上か、私より10歳くらい若い世代でその頃まだ小学生や中学生くらいだった人達まで、懐かしい曲がかかるため、金曜日に至っては超満員になるようなホットスポットでした。

 

そこで飲んでいたら、NHKの方に声をかけられ「テレビに出てくれないか?」と。私は当時ロイターで人事の責任者だったし、下手な踊りを撮られたらたまらんと思い、お断りしました。そしたら、しばらくしてまたやってきて、是非出て欲しいと。趣旨を尋ねると「今は暗い時代、昔は明るかったので、それを懐かしむために来ているんだ!」といったような感じで話してもらえれば、と言われました。

琴線に触れた私は思わず反応し「昔は明るかったって、ウソでしょ。僕らの学生時代は、ソ連のアフガニスタン侵攻、モスクワやロスアンジェルスではオリンピックがボイコットされ、経済面では商社冬の時代といわれ就職も良くなかった」「ここに来ている人たりは、昔は良かったが今はダメなんていうノスタルジーではない。当時も今も元気で、仕事もして遊びもしているに違いない。あの頃の活力感を再認識しに来ているんですよ」と。「いつの時代も明るい面も暗い面もある。そもそも若者はそんなもの気にしないし、若者であった我々も当時は気にしていなかった。そして今も気にしないで常にチャレンジしている人達は、まだまだ多いんだと思いますよ」と言いました。

そしたら「それでいいです!是非出て欲しい!」と頼まれました。改めてお断りしたのですが、ディレクターの方曰く「理路整然と話せて、カメラ写りもいい村上さんに出てもらいたい…」と。おだてられてしまい、お酒も入っていたこともありOKしてしまいました…

後悔したものの、約束した以上は守らなければならない。社名は隠すという約束で、家にまで取材に来て、いろいろインタビューされました。ディスコでの撮影では、同世代の大学時代の友達とロイターの別の同僚を引っ張りだし、1人は大阪人でもう一人は滋賀出身でしたが、NHKの朝のニュースの特集で全国放送に出てしまいました。

ブログまで書いて、何を言いたいか?実はテレビに出た話は実はどうでもいいのです。

どんな時代も苦しい問題はある。どんな時代も希望や展望はある。当時スマホはなかったし、下宿にはエアコンなんかなかったし、ウイスキーなんか高くて飲めなかったし、そう考えれば今は豊かで、スマホがあれば世界と交われるし、エアコンもあり美味しいお酒も飲める。ただ、広がり続ける格差は気に入らないし、ある意味国内を抑えていた独裁者がアラブの春などでいなくなりISのような組織が台頭し、民族間や宗教間の対立も激化。多様性を貴ぶ風潮があるとともに、内向きに傾く世論やトランプのようなリーダーも出てくる。

いい兆しや現実、悪い兆しや現実の混在です。これからも人類が生きていけば色んな問題や課題が出てくる。我々は、それをいかに乗り越えていくかを考えるべきで、解決に努力し実行していくことこそが、やるべきことだと考えます。「昔は良かった!」といったような懐古的なノスタルジーに浸って現代を否定するのは、偏狭なナショナリズムに傾くことに繋がり、非常に良くないと思います。

現代社会の問題点はもちろん直視しつつ、良くなった面をさらに伸ばして課題を解決していくというたゆまざる思いを持ち続けることが、我々にとって重要なことではないかと改めて思っています。

村上のりあつ【衆議院】大阪府第1区総支部長
大阪生まれ、大阪育ち。 同志社大学卒業後は主に東京で仕事をし、アメリカのイェール大学では経営学を学びました。 コンサルティング会社、グローバル企業であるロイター通信やフォード自動車等では人事の責任者として経験を積み、長年ビジネススクールの講師も務めております。 グローバルと日本の両方の経験を、是非とも大阪の皆さんとともに国政に活かしたい、その思いでいっぱいです。

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