ゼロイチで単純化し思考停止する風潮の危うさ

民進党の代表選に見られたゼロイチの二元報道

 

民進党の代表に前原誠司氏が決まりました。9月5日には執行部人事も発表され、民進党の新たな船出に我々公認予定候補者も気合が入った一日でした。実際に両候補の演説や討論を通して、微妙に考えの違うところはあれども互いに尊重し合いながら耳を傾けて落としどころを見つけていこうとする姿勢が見えました。一方で、今回の代表選に関する一部の報道で感じたことですが、複雑な内容をゼロイチの二元論で片付けようとする傾向がある、という危惧をもちました。例えば、枝野代表になれば共産党と共闘して前原代表であればNOとか、前原代表は憲法改訂に向けて動くが、枝野氏は護憲とか…

 

野党共闘でいえば、立憲主義を破壊し政治の私物化が疑われる安倍政権を倒すため選挙に勝たなければならないことは、両氏とも分かっておられること。だからと言って、理念を大きく曲げてまで他党に近づくことはあり得ないし、これまでの野党共闘もそんなことはしていません。その点は前原新代表も理解されているし、枝野氏も繰り返してこられました。

 

小池都知事のグループとの連携もしかりです。枝野氏がおっしゃっていたのは、小池都知事はどうも民進党とは理念が異なるのではないか?という読みの話。前原新代表がおっしゃっていたのは、理念が合えば提携もあり得る。もう当たり前すぎることです。二人の意見に相違があると報道される憲法改訂に関しても、どの条文をどのくらいのスピードでどう変えるのかによって全く話が違ってくる訳で、これまた無数のオプションがあります。これをゼロイチで論ずるのは、単純化し二者択一で思考停止しているといっても過言ではないでしょう。

 

 

ゼロイチでなく、間にある無限の可能性を探り少数に配慮するのが民主主義

 

政治の世界、ましてや民主主義では当然のことながら、少数の意見にしっかりと耳を傾けその意を汲む必要があります。したがって、イエスかノーかの単純なゼロイチの話にはなりえません。仮に、単純にゼロイチにしてイエスかノーの二択で意思決定ポイントが10あるとしたら「2の10乗」の1,024もの政党が無いと完全に自分と一致しないのです。もちろん日々変化する政治環境下ですから意思決定ポイントが10しかないはずはなく、ましてやその程度まで含めればイエスかノーかだけでなく無限の選択肢になります。そういうことからも民主主義政治の世界では少数の意見に耳を傾け、その程度の議論をしっかりとおこなうことになるわけでしょう。

 

安倍首相は秋葉原での都議選の応援演説で「こんな人たち」と反対派の人達をなじりましたが、その向こうにいる国民のことをもっと真剣に考えるべきです。通常国会閉会後も、都議選後にも「疑惑は真摯に説明する」とは言ったもののその説明責任を果たしていないのは世論調査で多数の国民が説明不十分と言っていることからも明らかです。安倍首相には民主主義国家の宰相として、疑惑の説明をしっかりするとともに、国民の声にもっと耳を傾けていただきたいものです。

 

「複雑な問題を単純化し過ぎるほど恐ろしいことはない」という名言を聞いたことがあります。単純化して分断して思考停止して議論を終わらせるのではなく、間にある無限の可能性に目を凝らして、少数の意見を汲むことが民主主義の政治に求められることかと考えます。そして、我々もゼロイチでなく、しっかりとその間にある可能性を見極める目を持つ必要があると思うところです。