憲法改訂の機は、安倍政権にとってだけ熟している!

今日は5月3日、憲法記念日です。現行憲法が施行されてから70年を経ました。憲法を変えようとする勢力がありますが、彼らは保守で、変えようとしないのがリベラルや改革派、とか言われます。しかし、「変えるのが保守」というのは矛盾するのではないか?と反論する向きもあります。一理あるでしょう。これは保守とかリベラルや改革とかの問題ではありません。

当たり前のことですが、憲法を変える議論をするのは全く問題ない、これはまさしく国民の権利です。我々の生活や経済、そして安全保障など、日本を取り巻く環境が変化して来たら、変えなければならないのは当たり前です。しかし、今の政権は、もっと根本的なところで無茶苦茶なことをしていると言わなければなりません。この点を、今日と明日で2回に分けて書かせていただきたいと思います。

2015年に強行採決された安全保障関連法は憲法をないがしろにする立憲主義の破壊!

まず、解釈改憲という無茶苦茶さ。2015年に制定された安全保障関連法。安全保障という名前は付いていますが、集団的自衛権に基づき海外に自衛隊を派兵しやすくする法律です。記憶も新しいように、この法律が憲法違反であることは多くの識者から指摘されていました。歴代内閣が、集団的自衛権は憲法違反であると解釈してきており、さらには参考人として呼ばれた憲法学者にいたっては、自民党が招致した早稲田大学の長谷部教授さえも憲法違反と言ったのです。このような法案をゴリ押しするのはとんでもないことです。

憲法というのは普通の法律とは違います。駐車禁止をしてはいけない、窃盗はいけない、もちろんこれらはいけないことなのですが、これら一般の法律は国民を取り締まり処罰する法律です。一方で、憲法とはそういった国民を取り締まる法律を作る「権力者」を縛る法律なのです。ですから、例えば、一票の格差が大きく広がると、憲法第14条にある法の下の平等に反するということで、違憲と言われるわけです。その結果、権力者である国会議員は公職選挙法を変えざるを得なくなる、ということです。昨月発表された、衆議院議員選挙の新しい区割り案は、違憲状態を脱するために出してきているのです。

人間というのは間違うこともある、だから特に国民に影響を及ぼす権力がおかしなことをしないように憲法でしっかりと縛りをかける。これが立憲主義です。私はこの立憲主義を、人類文明が生み出した至宝の産物の一つだと考えています。これを蔑ろにして、歴代内閣が違憲と言ってきた集団的自衛権を、たった一つの内閣の判断で解釈改憲する、などというのは立憲主義の破壊以外にありません。北朝鮮政府の国民に対する横暴をとやかく言えたものではありません。環境が変わってきたから必要、と安倍首相は当時言っていましたが、環境が変わったら憲法を変えるのが筋で、勝手に解釈改憲などするというのは立憲主義の否定。いや「立憲主義とは何かを知らないのでしょうか?」と言いたくなるような仕業です。

憲法96条を変えようという意見がありました。2016年の参議院選挙前で、改憲勢力といわれるものが3分の2を取る前です。現行憲法では第96条に、改憲発議に衆参両院とも3分の2が必要とありますが、これを2分の1、つまり過半数だけで発議できるようにしようというのです。これも立憲主義も危うくするもの。憲法というのは、権力を縛るものだから、3分の2とかその後の国民投票で2分の1とかの厳しいハードルを課しているわけです。それを普通の法律のように2分の1なんてことになると、頻繁に発議が行われることになり、歯止めとしての機能を失うリスクが非常に高くなります。これはさすがに、多くの憲法学者の皆さんから「裏口入学」などと批判を受け、最近はさほど言われなくなりましたが…

憲法を基軸とした立憲主義をしっかりと守らなくてはならない。安倍政権は、これを破壊しているのです。

熟してもないのに「機は熟した」と改憲目標年を定める安倍政権

このブログの書き出しでもいいましたが、改憲の議論をするのは問題ないというか、国民の当然の権利です。

安倍首相は「憲法改正の機は熟した」「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」とのメッセージを流しています。機は本当に熟しているのでしょうか?JNNが調査したデータによりますと、憲法改正すべきは43%で、憲法改正すべきでないは42%で拮抗しています。ただ、10年前は改正すべきが53%で、改正すべきでないは35%。つまり、ここにきて「改正すべきでない」が大きく増えているのです。これのどこが機は熟しているのか?また自民党が変えようとしている憲法9条。これについては先のJNNの調査では、9条を変えるのに反対が56%で賛成が31%です。

安倍政権にいわせれば、改憲と護憲が拮抗している(43%:42%)のであれば、改憲議論をすればいいではないか、ということでしょう。繰り返しますが、議論は大いに構わないと考えます。しかし、なぜ2020年といったような目標年限が出てくるのでしょうか?全く意味不明です。これは恐らく、今はうまい具合に衆参両院で3分の2あるから、つまり自分たちの都合で憲法を変えやすい状況にあるからという意味で「機は熟した」といっているのでしょう。主権者である国民の意識ではなく、自分たちの都合的に「機は熟した」といっているのでしょう。

改憲したい本音は押し付け憲法論?

これまでの発言からして想像するに、安倍政権の主張とするところは、GHQに押し付けられたと思っている現行憲法をなんとしてでも変えて、自主憲法にしたい。その内容は戦前日本の価値観の宿る憲法にしたい、という願いなのでしょうか?内容については自民党が出している憲法草案を見ればわかります。これは明日のブログで詳しく書きます。

現行憲法は押し付けられた憲法といいますが、作成に当たり、多くの日本人が関係していたという事実も分かってきており、自民党議員にも現行憲法は一方的な押し付けではなかった、という意見が聞かれています。また、本日の新聞報道では昭和天皇は現行憲法の案に対して「これでいいじゃないか」とおっしゃったともあります。もちろん、無条件降伏による敗戦下ですから、新憲法に対して十分な意見が通らないことはあったでしょう。

いやむしろ、私が敢えて思うのは、押し付けられたかどうかよりも、その憲法を我々が70年に渡ってしっかりと育ててきた、というところが重要なわけです。JNNの調査によりますと、現行憲法が果たしてきた役割について「高く評価する28%」「ある程度評価する59%」「あまり評価しない8%」「全く評価しない2%」という結果です。押し付けどうこうよりも、私は我々自身が現行憲法をどう評価しているのか?の方が重要だと考えるのです。もちろん無条件降伏下でも、日本人の意見が多く通って作られた方がいいのですが、これまで87%もの人たちが現行憲法に対して一定以上の評価を与えていることの方が更に重要だと思うのです。

過去を踏まえて未来を語る

憲法を変えるべきかどうかについては、この10年で改憲派が減ったとはいえ、数値は拮抗しています。しかしながら、国民の9割近くがこれまでの憲法を評価している。これは、現行憲法が過去において素晴らしい役割を果たしてきた一方、将来において必要な部分には手を加えなければならないという意見もそれなりにある、ということでしょう。

その意味でも憲法の議論はしっかりと行うべきです。であれば現行憲法が押し付けかどうかではなく、何をどう変えるのか?その理由は?というところをしっかりと明示して議論することが重要になるのです。この観点に立ってみても、今の安倍政権が行おうとしている改憲内容やその手法は、これまた国民をミスリードする無茶苦茶なものです。これについては、明日書かせていただきたいと思います。          …(続)

村上のりあつ【衆議院】大阪府第1区総支部長
大阪生まれ、大阪育ち。 同志社大学卒業後は主に東京で仕事をし、アメリカのイェール大学では経営学を学びました。 コンサルティング会社、グローバル企業であるロイター通信やフォード自動車等では人事の責任者として経験を積み、長年ビジネススクールの講師も務めております。 グローバルと日本の両方の経験を、是非とも大阪の皆さんとともに国政に活かしたい、その思いでいっぱいです。

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