生産性向上のために必要なものは「程度の議論」

議論がかみ合わなかった安全保障法制

 

ビジネスの世界、政治の世界でも同じですが、議論をしていると嚙み合わないことが多くあります。2015年に安倍政権が通した安全保障法制の参考人招致では、野党側は憲法学者を呼んでその違憲性を訴えているのに、与党は政治学者を呼んで安全保障環境の変化に伴う新たな法律の必要性を訴えている。野党側は「その法律が憲法違反だ」と主張しているのに、与党側は「その法律が必要だ」とだけ言っている。「必要なら憲法を変えないといけないのではないか!」と主張している野党に、与党は「法律が必要だ」とだけ言っているわけです。

 

これは本当にお粗末なケースです。憲法の議論と安全保障環境の議論が混同してしまっている。ここまでお粗末でなくても、噛み合わない議論の例が多々あります。その一つが、すぐにゼロイチ議論に陥ることです。

 

議論が嚙み合あわないゼロイチの主張

 

例えば新自由主義やグローバリズムについてです。グローバルに資源が行きかい世界的に競争するというのは、参加企業が互いに切磋琢磨してサービスや品質あるいはそのコストを下げることに努力したり、適地で生産したりして生産性を上げます。その結果として廉価ないいサービスや商品が得られるというメリットがでてくるのです。また、緩やかな規制の中で自由なアイデアを活かしてビジネスを開拓することは、様々な面白く新しい商品が出てくることに繋がります。

 

逆に、格差が広がりがちになるというデメリットはあります。グローバルに動く資源をコントロールするのは誰にでもできることではありません。できる人とそうでない人で格差が広がる。これも確かに一理あります。ですから、この格差拡大が問題であれば、累進の課税などで是正していく必要がある。ただ、それだけのことではないでしょうか?

 

ここで是正手段の議論をするのではなく「なんでもかんでもグローバル、市場原理主義というのはおかしい!」と言い出したり、逆に「グローバル主義や市場主義が効率性を高め経済が良くなる」と新自由主義の原理主義的な考えを持ち出したりしても話は前に進みません。

 

例えば、自動車業界などはまさしくグローバルな競争をしています。一方で、農業などは食料の自給率などを考えると、ある程度国内産業を保護しておきたいということも頷けます。逆に、自動車もここまでグローバルにしてしまうと、国内雇用に悪影響を及ぼすのではないか?といったトランプ大統領のような議論もでてくるでしょう。一方で、農業ももう少しグローバルな競争にさらした方が、国内産業が強くなるのではないか?という議論も当然あるでしょう。

 

要するに、グローバルか完全ドメスティックかの二極対立のゼロイチ議論ではなく、どの程度のグローバリズムが必要なのかという、量が質を決める話をしなければならないなのです。

 

同じような二極論に陥ってしまうことは、企業でも散見されます。成果主義を強めた方がいいのではないか?という議論をすると、何から何まで成果主義はおかしい!という反論がすぐに返ってきます。誰もそんなこと「何から何まで成果主義」などとは言っていない。今はちょっと成果が処遇に反映する度合いが小さいので、もう少し高めた方がいいのではないか?という話なだけなのです。100%結果だけで評価する会社は、全くないわけではないでしょうがほとんどありません。

 

ゼロイチでなく程度の議論を!

 

こういった極めて当たり前の生産的な「程度の議論」が行われず、ゼロイチ議論に陥っているケースが非常に多いのです。みなさんもテレビの政治討論を見たり、会社での会議の議論を振り返ってみたりすると分かると思います。「ゼロイチではなく、程度の議論をする」というのを意識するだけで議論は噛み合い、相当な生産性向上が見込めるものです。